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3月2日の礼拝メッセージ
イエスの命を受ける
私たちの礼拝今日から受難週の礼拝まで、主イエスの十字架に私たちの思いを集中したいと思います。今日は、主の晩餐と言われる個所から、主イエスの十字架を見つめていきたいと思います。 この箇所は、私たちが受ける聖餐の意味を教えている所です。また、私たちの礼拝の意味を教えている所です。 私たちの礼拝は、主イエスの命を受ける礼拝です。この礼拝で私たちは、主イエスを見上げます。祈りと賛美によって、そして説教において、私たちは主イエスの命を受け取ります。 聖餐は、見える御言葉、と言われます。御言葉とは、主イエスの十字架の死と復活を語る言葉です。これによって私たちは永遠の命を得るのです。 今日からイースターまで、主イエスの御苦しみを思い起こし、主イエスの命に与ることについて共に聞いていきます。そしてそれは、そのあとに続くペンテコステまでの主題となります。私たちクリスチャンは、主イエスの復活の証人です。 主の十字架を思い起こす受難週には、質素な食事をしたり、断食をする、というクリスチャンがいます。それは、主イエスの御苦しみを偲び、覚えるためだ、と言うのです。受難週には、自分の好きなことをやめる、という人もいます。いつもしている何かをしないというのは、何かをするためです。 主イエスの十字架の御苦しみを覚えるということは、何よりも私たちの、この私の罪を覚えることです。私たち教会が十字架を掲げるのは、それを拝むためではありません。十字架の主イエスを思い起こすためです。今日、私たちが受ける聖餐も同じです。 私たちは、毎日の生活の中で、いつも主イエスの十字架を思い起こしつつ生きる、ということはありません。忘れていることが多くあります。主イエスの十字架を忘れるということは、自分の罪を忘れることです。 礼拝は、そして聖餐は、私たちに、自分の罪を思い起こさせます。そしてこの私たち一人一人の罪を赦すために、主イエスが十字架にかかったことを思い起こさせます。御言葉を聞くことによって、そして聖餐を受けることによって、私たちは自分の罪が赦されたことを知るのです。 罪の自覚なしに主イエスの十字架の恵みはわかりません。まさに、罪の増し加わるところに恵みもますます増し加わるのです。 主の食卓に与る今日の個所をある人は「最後の晩餐」と言います。しかし、これは最後の晩餐ではなく、主の晩餐です。なぜなら、これが最後の晩餐ではないからです。主の晩餐は、ここから始まり、今もこの晩餐はなされています。 私たちが行う聖餐は、主の晩餐に続いている食事です。私たちが行う聖餐は、主の食卓を囲む食事です。この食卓の主、マスターは主イエスです。主イエスがこの食卓を御用意して下さり、私たちを招いて下さったのです。 私たちはこの聖餐において、主イエスと食事をしているのです。それも主イエスの体を食べ、その血を飲むことで、永遠の命に与っているのです。 主イエスの体、主イエスの血この食事は、ユダヤの社会においては大切な食事でした。過越(すぎこし)の食事です。その食事の佳境には、主人が立って感謝と賛美の祈りをしてパンを裂きます。主イエスもそのようになさいました。 そして主イエスは、この過越の食事こそ、御自分の十字架の死の意味を教えていることであることを示されたのです。 私たちが受ける聖餐は、過越の食事ではありません。主イエスの十字架を覚え、その苦しみのゆえに私たちの罪が赦されて救われたことを覚える食事です。これによって与えられる主イエスの命を受ける食事です。 パンとぶどう酒を取り、これは私の体、私の血だ、と主イエスは言われました。私そのもの、私の命そのものだ、と言われたのです。教会はこのことを信じて聖餐を受けます。私たちはこの信仰を変えることはありません。 私たちはこの聖餐に与る時、主イエスそのものを食べ、主イエスそのものを飲むのです。ヨハネ6:22〜71において、主イエスが「私の肉を食べ、私の血を飲む者は、永遠の命を得る、私はその人を終わりの日によみがえらせる」と言われました。 私たちが受ける聖餐は、私たちに永遠の命を得させます。主イエスの命を受け、永遠の命を得るのです。そしてそれは、罪の赦しによって与えられるのです。 契約の血この食卓の主人とは、十字架に向かって苦しみの道を歩まれた主イエスです。そしてその先によみがえりの命を持っておられる主イエスです。私たちは、聖餐を受け、御言葉を聞くことによってこの主イエスを見つめます。この主イエスをいつも思い、主イエスの命に与って生きています。 これは私の契約の血である、と主イエスは言われました。罪の奴隷から救い、解放を与えた神と私たちが、深く、そしてしっかりと結びつけられる契約の血が、主イエスの血です。私たちはこの血を飲むことによって、神としっかりと結びつけられるのです。 主イエスが復活された後、主イエスを見捨てて逃げ去った弟子たちを、主イエスは招いて御自分の食卓を開いて下さいました。私たちの聖餐の食事はその食卓に連なっています。今日、私たちは新たに主イエスの招きを受けています。私の肉を食べ、私の血を飲む物は永遠の命を得る、と言われます。主イエスの復活の命、永遠の命、希望の命に生きる、と言われます。 私たちはこれを信じます。そして、この食事によって十字架の主イエスを思い起こし、主イエスの命に与って生きていくのです。 |