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2月24日の礼拝メッセージ
祈りによって立つ
私と主、そして私たちと主私たちは今、神の武具について学んでいます。本来は、ここに挙げられている神の武具について、一つ一つ丁寧に学びたいと思っています。それほど意味深いものであります。 私たちが神の武具を身につけるのは、私たちが戦いの中にいるからです。信仰の戦いです。私たちが信仰に立って生きる時、戦いの中にいるのです。悪魔の策略、攻撃に対抗して、しっかりと立ち、完全に勝利するために、神の武具で身を固めるのです。堅く立って動かされず、いつも主のわざに励むことができるために(Tコリント15:58)です。 今日、私たちは「私と主」という関係をしっかりと持つことを覚えます。その目線の先には、「私たちと主」という関係があります。それは、後でも触れますが、目を覚ましている、ということです。 神の武具を身につけるとは、目を覚ましていること、見つめるべき御方を見ている、ということです。これが私たちの信仰です。 その信仰の姿が、今日取り上げませんが24節に述べられています。朽ちることのない愛をもってイエス・キリストを愛している、ということです。 これこそ、信仰の姿です。私と主の関係です。今日も信仰に立って神の武具を学びます。 御霊の剣である神の御言葉先週、触れることができなかった武具、御霊の剣である神の御言葉をまず学びます。私たちの信仰は、神の御言葉によって与えられます。そしてそれは、御霊の剣と言われています。 これは決して人を切るためのもの、つまり私たちがほかの誰かを裁くためのものではありません。私たちがまず、この御霊の剣である御言葉の前に立つのです。それによって私たちの心の中にあることが明るみに出されるのです。それは私たちの罪です。 罪が明らかになるからこそ、そこに悔い改めが起こり、救いが起こります。この剣は不思議です。私たちがだれにも言えない罪を、神の前に明らかにします。そして、御言葉によってその誰にも見せない心の一隅において、私たちは神との出会いをするのです。 私たちは、神に対しても自分を隠そうとします。あのアダムとエバのようにです。しかし、御言葉は私たちを神の御前で露わにします。そこで私たちは神と出会います。そして新しく造り変えられるのです。 そしてその御言葉は、「御霊」の剣と言われます。私たちを救いへと導き、それによって希望を与え、信仰を与える働きをするのが御言葉です。そしてそれは聖霊の働きである、と言うのです。聖霊は、御言葉をもって働きます。ですから、御霊の剣を手に取ることは、神の御言葉をしっかりと読み、聞かなくてはならないのです。そこにこそ、聖霊は働くのです。そして悪魔に完全に勝利するのです。 目を覚まして祈ること神の武具で身を固めることの仕上げに、祈りがあります。祈ることなしに、戦うことはできません。祈りについては、もう何度も繰り返し聞いてきたことです。わかっていることです。しかし、それでも祈りについて、何度も教えられ、勧められます。 それは、私たちの祈りが妨げられることがあるからです。悪魔は、私たちを祈らせまいと働きます。だからこそ、祈るべきことが教えられ、勧められるのです。それも、目を覚まして祈れと、と勧められます。 誘惑に陥らないように、目を覚まして祈りなさい、と主イエスも教えられました。目を覚ましているとは、見るべきものをしっかりと見ている、ということです。見るべき御方とは、神御自身です。そのためにもキリストをしっかりと見つめる必要があります。 神の武具を身につけるとは、キリストを着ること、と学びました。それはキリストから目を離さないことでもあります。キリストを待ち望むことでもあります。神の御業を待ち望むことです。 私たちクリスチャンは、キリストの再臨を待ち望んでいます。これが救いの望みの兜をかぶる、ということです。キリストが再臨される日、私たちは完全な勝利を得ます。祈りは、ここを目指しています。 私たちの祈りは、日々の苦しみや悲しみのゆえになされることがあります。神がこの苦しみや悲しみを、問題を解決して下さるようにと祈ります。この祈りもまた、悪魔の策略に対抗して、しっかりと立つために必要な祈りです。それは、神に目を向け、神の御業を待ち望むことだからです。 祈りによって立ち上がるこの祈りには、忍耐が要ります。私たちが自分の力で祈るのには限界があります。聖霊の助けがなければ祈り続けることはできません。忍耐の限りを尽くして祈れ、と勧められています。 聖霊の助けとは、御言葉によって励まされて、ということでもあります。聖霊は御言葉を通して働かれます。御言葉に励まされて、私たちは忍耐強く、根気よく祈るのです。 そしてそれは、自分のためだけなく、すべての聖徒のために祈れ、と言うのです。神の家族である主にある兄弟姉妹のために、忍耐強く、根気良く、諦めることなく祈れ、と勧められます。 悪魔は、私たちを諦めさせようと働きます。だからこそ、目を覚まして、根気よく祈るのです。それも自分の力、根性によってではなく、聖霊の助けを求めつつ、御言葉に励まされて祈るのです。 この「私と主」の関係は、互いに祈り合うという「私たちと主」の関係の土台です。私たちは主の御名によって祈ります。互いに名前を挙げて祈ります。祈りによって私たちは神の教会を建て上げるのです。 私たちは祈りによって立ち上がるのです。そしてここから戦いに出て行きます。祈りによって、召された召しにふさわしく歩みます。キリストを愛して生きるのです。 |