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1月27日の礼拝メッセージ
祝福される生き方(2)
礼拝=神への応答信仰は受け身であると思います。神が与えて下さった事を受けることです。神が与えて下さる赦しを受け取り、救いを受け取ります。私たちが祝福された道に歩むようにと、神が与えて下さった戒めもまた、受け取るものです。先週お話した十戒もまた、神から与えられたものです。受け取るものです。同じように、主イエスが説教されました「山上の説教」も、私たちに与えられたものです。 しかし、これらを守り行うことは大変なことです。誰が守りきれるだろうか、と思います。ただただ神の憐れみを求めるだけです。 受け取る、という姿勢のもう一つの面があります。それは「応答する」ということです。礼拝とは、神に応答することです。ですから、ここに集められてする礼拝だけが、礼拝なのではありません。私たちクリスチャンの生活そのものが礼拝です。 この礼拝を、全身全霊をもって、霊とまこととをもってするのです。そして、キリストの体なる教会を建て上げているのです。一致へと向かって共に歩んでいるのです。 今日も、神の御言葉に応答して行きましょう。 仕える者として生きること今日の箇所は、奴隷と主人の関係についての勧めです。現代の日本においては、奴隷はいません。が、これと似た関係はあると思います。ここでの勧めを私たちは、自分の生活に適用する必要があります。 私たちは奴隷ではありませんが、誰かに仕えています。会社で仕事をする、という時、誰かに仕え、何かに仕えています。また、誰かの上司となり、誰かを雇用しています。このような社会の仕組みの中で私たちクリスチャンはどう生きるのか、どう礼拝していくのか、ということがここで勧められているのです。 労使関係、というだけではなく、人と人との関係ということがここで勧められていることです。それはまた、教会の中での人と人との関係でもあります。 奴隷への勧めですが、これを私たちはクリスチャンとして読みます。そして、神に応答していくのです。まさに、信仰によって生きることとして読むのです。これは信仰の問題です。 自由にされた者として仕えるこの箇所から、当時、教会の中に奴隷の人がたくさんいたことが分かります。そしてその奴隷はクリスチャンであった、ということです。 この奴隷にパウロは、服従することを勧めています。と言っても「あなたがたは奴隷なのだから、文句を言ってはならない。黙って服従しなさい」と言っているのではありません。ここでの勧めは、クリスチャンとしてどう生きるのか、ということです。 信仰を持つ、ということは自由になることです(ガラテヤ5:1)。このことを特に敏感に受け取ったのは、奴隷の人たちだったと思います。主イエスを信じ、自由になった、と彼らは受け取ったはずです。それでもやはり奴隷でした。 しかし、もはやただの奴隷ではありません。自由にされた奴隷です。その存在が変えられたのです。神の民となり、キリストのものとなりました。キリストの体の一部とされたのです。そこでどう生きるのか、ということが勧められています。それは、仕えて生きる、というものです。 キリストに仕えることとして信仰を持って生きる私たちクリスチャンにとって、神の前でどうあるべきかを考えることが大事です。自分を喜ばせるのではなく、神に喜ばれることを求めます。これがクリスチャンです。新しく生きる者とされた人の生き方です。 その生き方がここに勧められているのです。それは、恐れおののいて真心から仕える、という生き方です。それも、キリストに仕えるように、人に仕える、ということです。自由にされた者として仕えて生きるのです。 私たちクリスチャンは、人と人との関係において、キリストに仕えるように仕えるのです。これは、人と自分との間に、キリストを置く、ということです。主人もまた同じようにふるまえ、と勧められています。 自分と人との間にキリストを置く、ということは、キリストに学んだように生きる、ということです。 私たちクリスチャンは、キリストから学び、キリストに聞いて新しく生きる者とされました。その生き方が「仕える」という生き方なのです。 人と自分の間にキリストを置くのではなく、自分を置くから、そこに問題が起こるのです。自分を喜ばせることを求めるから、問題が起こるのです。しかし、私たちはキリストからそのようには学びませんでした。 6節では、キリストの奴隷として神の御心を行い、主に仕えるように仕えなさい、と勧められています。善意を持って、神に喜ばれる者として仕えなさい、ということです。仕える相手がクリスチャンでなくても、私たちクリスチャンは、キリストに仕えることとして、その人に仕えるのです。 その時、私たちは苦しむかもしれません。しかし、それはキリストの苦しみに与ることでもあります。キリストを学ぶことでもあります。 ここに神の祝福があります。祝福された者の歩みがあります。今日、私たちは、神の祝福の中に招かれています。あなたはこの招きにどう応えて生きるでしょうか。あなたの礼拝の生活がここで問われます。祝福の中に入って行こうではありませんか。 |