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1月20日の礼拝メッセージ
祝福される生き方
家庭と社会の中で先週に引き続いて、クリスチャンとしての社会生活、家庭生活についての勧めを聞きます。教会には多くの人がいます。夫婦の人だけではありません。それでも夫婦に対する勧めを聞きました。それは、キリストと教会との関係から勧められていたからです。 これまでに、神の招きを受け、召された者としての歩みについて勧めを読み、聞いてきました。その歩みは、キリストとの関係に立ってなされる歩みです。キリストは私たちの頭(かしら)です。教会の頭であり、私たちはその体の一部です。キリストと一つにされ、キリストに結びついて生きています。そのことに立って、家庭での歩み、社会での歩みを考えるのです。 私たちクリスチャンは、この世にあっては少数派です。このような私たちが家庭に、そして社会にインパクトを与えることができるのは、私たちが神の御言葉に応えて生きる事によります。地の塩、世の光として生きる。これが私たちクリスチャンの祝福された生き方です。 それと共に、私たちクリスチャンは、キリストの体である教会を建て上げる者である、という自覚、視点も必要です。召しにふさわしく歩む、という生き方は、キリストの体である教会を建て上げる、というものです。同じ視点、見方で私たちが遣わされている家庭での生活も、社会での生活も考え、歩んでいくのです。 教会において私たちは一致へと向かって歩みます。そして家庭においても、社会においても一致への歩みを始めていくのです。 戒めを守る神の御言葉を生きる私たちクリスチャンに今日の勧めが語られます。子供たちよ、両親を敬い、従いなさい。この勧めの理由は、十戒の第5戒にある戒めです。 十戒は大切な戒めです。私たちクリスチャンはこの十戒を守ります。なぜなら、十戒は、神が私たちに祝福される生き方をするようにと与えて下さった戒めだからです。 パウロは、ここで「主にあって」という言葉で勧めます。キリストに愛され、救われた者として、そして、キリストに結びついている者としてということです。十戒を守る、ということもこの理由からです。 十戒が記されている出エジプト20章と申命記5章を見て下さい。十戒の最初に「わたしはあなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出したあなたがたの神、主である」と記されています。 この御言葉は重要です。十戒は、神の救いの御業に基づいているのです。十戒のすべての戒めは、神があなたを救った、という御業を感謝し、喜ぶこととして守るべきものです。主にあって、ということと同じ意味です。 主にあって私たちは救われました。このように罪深い者が、赦されてキリストに結びつけられました。取るに足りない弱い者が選ばれ、キリストと一つにされました。この救いの御業を喜び、誇りとし、感謝することとして、主の戒めを守るのです。この御業を恐れ尊んで戒めを守るのです。 信仰の道を伝える子供たちよ、両親に従いなさい。親たちよ、子供を怒らせてはいけない。主の教育と訓戒によって育てなさい。この勧めには、もう一つの視点があります。それは、信仰の道を伝える、ということです。 イスラエルの民は、エジプトの奴隷から解放され、救われて新しい歩みを始めました。それは、荒野に向かっての歩みでした。その先には約束の地がありました。イスラエルの使命とは、この荒野の厳しい生活を通して、神が偉大な御業を現されたことを周りの国々に証しすることでした。 同じように、私たちクリスチャンの使命は、厳しい現実の生活の中で信仰の道、祝福された生き方を証しすることです。社会にあって、家庭にあって、神の祝福を、信仰の道を伝えるのです。 子どもを怒らせてはならないのは、子どもに信仰を伝え、信仰から離れないためです。だからと言って、ご機嫌を取ったり、腫れ物にでも触るようにするのではなく、主にある教育と訓戒によって育てるのです。 そのように生きる私たちは、自分自身もまた主にある教育と訓戒によって育てられなければなりません。先週の箇所にもありましたが、教会はキリストによって養い育てられるのです。キリストの御言葉によってです。 この御言葉を生きる事によって私たちは、養われ、育てられ、祝福された歩みをするのです。 祈りつつ歩むこのような信仰に生きることは、時に理解されないこともあるでしょう。また、私たち自身の弱さのゆえに、それでもクリスチャンか、と言われたりすることもあります。私たちは痛みや破れを覚えます。 しかし、それでも私たちは祈りつつ、主の御言葉によって生きていきます。主の憐れみによって祝福された歩みをしていきます。 祈りは、痛みと破れを覚え、弱さを覚えるところから生まれます。祈りは力です。祝福を受ける力です。 神の御言葉に従って生きる、ということは、祝福された生き方です。十戒は私たちが祝福された生き方をするようにと、神が私たちに与えて下さった戒めです。それはちょうど主イエスが与えて下さった山上の説教と同じです。 聖書の中にこそ、神の御言葉にこそ、祝福された生き方、歩みが教えられているのです。 次週もまた祝福された者の歩み、生き方を見ていきましょう。 |