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1月13日の礼拝メッセージ
偉大な奥義
時代を貫く真理を知るこれまで「教会を建て上げる」というテーマの下に、エペソ書を読んできました。私たちはそれぞれに教会観を持っていることがあります。それが聖書に教えられていることであるなら良いのですが、時に、聖書から大きく外れていることがあります。私たちの信仰の基準、規範は聖書です。ですから、聖書を読むこと、学ぶことは大切です。 その聖書はまた、時代のものでもあります。聖書に記されている真理は、時代の壁や民族の壁を越えて貫かれ、変わらないものです。しかし、聖書は時代の制約を受けて書かれているものでもあります。だからこそ、聖書を学ぶ必要があるのです。そして、その聖書に書かれていることを、私たちの生活に適用する必要があるのです。今日的解釈、などという難しい言葉もあります。 今日、勧められている夫婦に対する教えや、この後続いて勧められる親子、奴隷と主人との関係などは、時代のものでもあります。私たちはここから、時代を超え、民族を超えて貫かれる真理を読み取らなければなりません。 そしてこの勧めは、教会を建て上げる、ということと深く関係しています。ここに勧められていることは毎日の生活のことです。私たちはここに(教会に)集まっているときだけでなく、毎日の生活においても、キリストの体である教会を建て上げているのです。このことを覚え、今日の勧めを読んでいきましょう。 奥義=信仰の土台今日の箇所を理解するためには、先週の勧めをしっかりと覚えておかなくてはなりません。それは「キリストを恐れ尊んで、互いに仕え合いなさい」という勧めでした。この勧めから知るのは、キリストの体である教会は、互いに自分を下に置き、仕え合うところである、ということです。 教会には一致することが求められます。それがキリストの体を建て上げることです。この一致する、ということが後で述べる「奥義」ということなのです。様々な環境の中から私たちは呼び集められました。その私たちが一致することができる、というのです。ここにキリストを信じる信仰の奥義があります。 一致するということを、私たちは互いに仕え合うことによってするのです。そして互いに仕え合うのは、キリストに仕える事なのです。 私たちクリスチャンは、キリストを信じた時、キリストに結び付けられました。これが洗礼の意味です。キリストに結び付けられ、キリストと共に生きる者となりました。キリストと一つにされたのです。これが私たちの信仰の土台です。大原則、大前提です。 私たちクリスチャンが、互いに仕え合うのは、キリストと一体となったからです。ここに奥義があります。私たちはこの奥義を生きているのです。 仕えあう事=愛し合う事ここに立って今日の勧めを読むのです。この箇所は結婚式によく読まれる箇所の一つです。しかし、ここを嫌う人たちもいます。パウロは女性軽視している、と批判します。夫は妻の頭である、と言っているからです。 しかし、ここは女性を軽視しているのではありません。これは奥義から出てくる教えなのです。それは、キリストと教会との関係から出てくる生き方なのです。 妻だけに「仕えよ、従え」と言っているのではなく、キリストを恐れ尊んで互いに仕え合いなさい、と断ってから「妻よ、夫に仕えなさい」と勧めているのです。ですから、続いて夫に「妻を愛しなさい。キリストが教会を愛したように、妻を愛しなさい」と勧めているのです。 仕え合うということは、愛し合うことです。私たちクリスチャンがキリストに仕えるのは、キリストに愛されたことを知って、その愛に応え、キリストを愛するからです。キリストの愛によって、キリストと一つにされたからです。まさに奥義だからです。この奥義の意味するところは偉大です。 偉大な奥義を生きるパウロはここで夫婦に対して勧めをしているようですが、その中で奥義を語っています。これこそ、時代を超え、民族を超えて貫かれている真理です。そして奥義です。 その奥義とは、繰り返しますが、私たちはキリストと一つにされている、ということです。キリストが私たちに仕えて下さった事によって、救われ、さらに養われ、キリストにふさわしい者として育てられています。御言葉によって励まされ、慰められ、そしてキリストの花嫁として迎えられるように、汚れのない者とされます。 私たちはこの愛に応えて生きるのです。その具体的な姿が、夫に仕え、妻を愛する、ということなのです。私たちはこの事によって奥義を生きているのです。 これは互いに求め合うこととして勧められているのではありません。愛は求め合う事ではなく、与え合う事です。仕え合う事です。 自分の家族、夫や妻がノンクリスチャンの場合でも、私たちは主に仕えるように仕え、愛するのです。Tペテロ2章から3章にかけて、この勧めの良い教えが述べられています。この勧めをぜひ読んで下さい。 夫に仕え、妻を愛するのは、共に生きるということです。このことは教会を建て上げるという事に結びついています。共に生きるということ、それはキリストが私たちにして下さったことです。キリストが教会を愛して下さった、ということです。私たちはこの愛に応えて、共に生きるという生き方をするのです。 それは与えるという愛です。私たちはこの愛によって、一つとなるのです。キリストと一つとされているようにです。これは奥義です。教会として集まっている時だけでなく、この世に生きている時も、私たちは奥義を生きているのです。キリストの愛という奥義です。偉大な奥義です。 |