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1月6日の礼拝メッセージ
互に仕え合うこと
信仰の営みの中心私たちの信仰生活は、漠然としたものではありません。目指すべきゴールがあります。それは、キリストの再臨の時に現されるキリストの御体を建て上げることです。昨年は「キリストの体である教会を建て上げる」という標語を掲げ、エペソ書を礼拝の説教テキストとしました。 私たちの信仰の営みは、そのままキリストの体である教会を建て上げていることです。このことを私たちは意識し、覚えるべきです。私たちの教会が、キリストの体となり、キリストに満ち溢れ、キリストの身丈、御姿にまで成長するようにと信仰の生活をしています。 この信仰の営みの中心、基となっているのが礼拝です。共に集まり、神を喜び、誉め讃えること。そして一つ御言葉に与り、神の語りかけ、働きかけに応えていく。今日も私たちはこのような礼拝を行っています。 そして、今日私たちに与えられた御言葉は、キリストを恐れ尊んで互に従いなさい、という勧めです。これは、賢い人として生きるという私たちクリスチャンの歩みの一つです。 前回、賢い人として歩むことの勧めを聞きました。そのまとめと言えるのが、この21節の御言葉です。そしてこの御言葉はまた、次の勧めのまとめ、基礎ともなっています。 キリストを恐れ尊ぶ私たちの信仰の営みは、教会として集まっている時だけのことではありません。教会としてこの世に遣わされているその所=毎日の生活の中でも、信仰によって生きています。 私たちクリスチャンは、キリストの体の一部である、ということをこれまで何度か聞いてきました。それは、私たちクリスチャン一人一人が、キリストの体である、ということ、つまり教会である、ということです。 キリストを証しし、キリストを現すところの教会として、私たちはこの世で生きています。そこで、賢い人として生きるようにと勧められたのです。 私たちの信仰の営みは、教会として集まっている時のものと、この世に遣われている時のものとがあります。そのどちらにも共通することがあります。それが今日の勧めです。 それは、キリストを恐れ尊んで生きるということです。私たちクリスチャンにとって、生きることは、キリストを恐れ尊んで生きることです。では、どうすることが「キリストを恐れ尊ぶ」ことなのでしょうか。 ここでの勧めは、互いに従い、仕え合いなさい、というものです。その時、キリストを恐れ尊んで、と言われています。 私たちクリスチャンが、闇から光へと移され、希望と喜びを持って生きる者とされたのは、キリストの十字架と復活の御業によります。私たちの行い、業績によるのではありません。神が私たちを憐れみ、恵み、愛して下さったからこそ、私たちは救われ、希望と喜びの中に入れられたのです。ですから、私たちは自分を誇ることなどできません。キリストを誇り、神を誇り喜ぶのです。 キリストがこのようにして私たちに仕えて下さったのです。十字架の姿を取る事によってです。私たちはそれ故に、キリストを恐れ尊ぶのです。私たちの信仰の営みの中に、このことが欠けていてはなりません。キリストの御業をないがしろにし、踏みつけるようなことをしてはならないのです。 キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい、仕えなさい、と勧められるのです。 互いに従い、仕え合うこと従うという言葉は、下に置く、という意味の言葉です。互いに自分を下に置くということです。ここで思い起こすのは、ピリピ2:1〜11で告白されているキリストの御姿です。パウロは、このキリストの御姿に従い倣いたい、と言います。 この仕えるキリストの御姿は、十字架に現された御姿です。また、仕えるというキリストの御姿は、十字架にかかる直前に弟子たちに教えられたことにも現されています。 主イエス・キリストは、十字架にかかる前の晩、弟子たちとの食事の前に、弟子たちの足を洗いました。そして「互いに足を洗い合え」と教えられたのです。キリストを恐れ尊んで生きるとは、この主イエス・キリストの御言葉に従うことです。 そして、互いに従い、仕え合うということは、このキリストの御姿に倣い従うことです。 キリストを恐れ尊ぶとは、キリストに従って生きることです。キリストに倣って、自分を下に置き、互いに仕え合うことです。ここに教会は建て上げられます。 身を捧げるということキリストに従って生きる、ということは、私たちクリスチャンの姿です。それは、献身を意味しています。 私たちクリスチャンは、キリストのものとなりました。私たちが持っているものは、自分のものではなく、キリストのものです。ですから、私たちクリスチャンは、キリストに身を捧げて生きている者です。 身を捧げるということにおいて、私たちはキリストを恐れ尊ぶのです。この献身の表れが、献金であり、礼拝であり、キリストを証しし、宣べ伝えるということです。 この年、私たちはどのように生きていくのでしょうか。キリストに従い、恐れ尊んで、互いに従う者でありたいと思います。そして、このことによってキリストの体である教会を建て上げる者でありたいと思います。 キリストの体である教会は、キリストを恐れ尊んで、互いに従う所、仕えあう所なのです。 |